人の本質を知る

   

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誰かの事を知るとき

人は感覚から得る情報が

80パーセントを占めているそうで

見た目や体形や喋る口調

仕草やファッションなどを参考に

この人はこういう人だ!

と無意識に結論付けているそうです。

 

そして勝手に作ったイメージは

その人の人となりを決定していきます

 

けれども、どんな時も

 

目の前に現れた情報の裏には

それが出来上がるまでの過程が

隠れているという事を

忘れてはいけません

 

それを考えていく事こそが

その人だけではなく

人の本質が見えると思うのです

 

例えば暴力をふるう人がいたとします

その人はなぜ暴力をふるうのでしょう?

小さいときに親から暴力を振るわれて

育ち、暴力をふるう事でしか

コミニュケーションが

とれないかもしれません

 

ではその人を育てた親が悪でしょうか?

その親も自分の親にそう扱われて

育ったかもしれません

その親もまたその親も…

こうやって問題が受け継がれている

のかもしれません

 

そう考えると

暴力をやめられない人は加害者でも

ありますが被害者でもあるわけです

 

もともとこのように誰かが暴力的

になったのは、戦後の経済状況の悪化

により心に余裕がなくてイライラを

暴力というかたちで表したかもしれない

 

国同士の争いが絶えないない為

暴力そのものが正当化

されていたかもしれない

 

大人も子供も愛について

教わる機会がなかった

無知が原因なのかもしれない

 

国の犠牲者・時代の犠牲者

かもしれない

 

色々と背景に思いを巡らす

人は安心感がない状態

つまり恐怖や不安な状態は

暴力的になる

そのような本質が見えてくる

 

子どもに叱ってきつくあたり

恐怖で支配している時は

戦争の話を聞いたときに

見つけたものを

自分の中にも見つけます

 

自分より権力のある人に

気に入られようと

自分の意見を押し殺す時

本当はいけないと知って

いるのに逆らえなくて

犯罪を犯してしまった人と

同じ性質を自分の中に見ます

 

自分の弱さを知られたくない時

必死に事実を捻じ曲げた時

汚職事件で話題になった

あの政治家と同じ性質を

自分の中に見ます

 

全てに人の行いの中に

自分の性質を見ます

そして自分を知り

人を知り

人間を知ります

 

あの人が悪い

あの人はダメな人

という見方では

結果だけで物事を知った

と勘違いしてしまいます

 

なぜあの人はダメになったんだろう

なぜあの人は悪いと言われるのだろう

その部分を自分の中で見つけることは

出来るだろうか

あの人の中にもこの人の中にも

見つけることが出来るだろうか

 

そこで理解し

再体験するのです

恐怖が生むものを

安心が生むものを

無知が生むものを

そうして人を知り

他人を知り、自分を知ります

全ての中に自分を見ます

 

私達が非難したいもの

それは私だし

私達が称賛したいもの

それも私なのだと思う時があります

そこには善悪を超えた統合された

世界があると思います

そんな難しい事を思った今日でした

 

 

 

 

 

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